概念的な理解だけでは不十分

心は真理を理解することができますが、それは出発点にすぎません。真理を概念的に理解するだけでは十分ではありません。どんなに深い洞察でも、自分の中に個人的な意志を手放す動きが生まれなければ、それは本当の目的にはならないのです。独立した自己は存在しない、「私」は存在しないという真実を深く理解したとき、すぐに、自分が強く信じていた「私」を手放し始めることになります。この動きだけが、あなたを解放へと導いてくれるのです。この動きに支配されない限り、どんな洞察も理解もあなたを解放することはできません。

真理を「求める」道を歩んでいるとき、真理の理解を得ることは極めて至福な気分です。特に覚醒体験は、「気持ちいい」ので魅力的です。真理についての深い洞察は、恵みによってもたらされ、畏敬の念を抱かせることがあります。心は、このような洞察や理解を得ることを楽しみます。心は真理を渇望しており、「手に入れた」という感覚を喜ぶのです。問題は、この「気持ちの良い」体験に中毒になり、それを第一の課題にしてしまうことです。

スピリチュアルな世界には、「気持ちいい」ジャンキーがたくさんいます。もしかしたら、あなたもその一人かもしれません。気持ちよくなりたいというのは悪いことではありませんし、気づきや洞察が必要な時期や場所は確かにあります。しかし、この領域にはまり込んでしまうと、「道」の虜になってしまい、真理に向かう道を歩み始めた目的を見失ってしまいます。道の目的は、あなたを最後まで連れて行くことであり、道の真ん中にキャンプを張ることではありません。

残念なことに、この道には、心を飽きさせない魅力がたくさんあります。瞑想、セラピー、サットサング、グループ、さらにはスピリチュアルな旅に参加する人もいますが、気をつけないと、これらすべてが中毒になりかねません。悟りや解脱をテーマにしたCDやDVD、本がたくさん出ているので、それを趣味にすることもできます。興味深い洞察を楽しむ心は、こうしたスピリチュアリティの道具の中毒になりかねません。

真理を深く理解したら、次のステップに進みましょう。それは、気づいた真理を手放し始めることです。真実に飛び込まなければ、一生、その周りに踊らされることになります。火の中に飛び込んで完全に焼き尽くされ、「本物」だけが残るのです。火の周りで踊るのは楽しいですが、その踊りが中毒になるのもそう遠くはないでしょう。すべての依存症は、最終的に苦しみとさらなる妄想をもたらすのです。

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実感から具現化へ

あなたが実感を体現しない限り、それはあなたの心の中の概念に過ぎません。真理とは、心の知識を増やすものではありません。逆に、真理が十分に発揮されると、通常、心のすべての信念や妄想を奪ってしまうのです。

完全に自由になりたいという衝動に真に駆られた人は、「苦しみがない」という約束された結末に満たないものでは決して満足しないでしょう。苦しみから本当に解放されるまでは、本当の意味で真理を体現したことにはなりません。しかし、この場所にいるためには、真理の炎の中で「私」が完全に燃え尽きることを許さなければなりません。私を溶かし、「私」という存在の「本質」を輝かせるというこの移行を、進んで受けなければならないのです。

心の意見、投影、知覚からの解離が、この移行の始まりです。このプロセスは、マインドからの注意の解離によって毒され、マインドの磁力が弱くなるにつれて勢いを増していきます。個人的な意志とは、「私」という条件付けによって生み出された力に他ならず、この力には多くの勢いがあります。個人的な意志を手放すことは、人間にとって最も困難な経験となり得ます。

何よりも真実を体現することが、このプロセスを実行させる唯一の動機となるのです。この移行は簡単なことではなく、未知の世界に飛び込むようなものであるため、心に激しい恐怖を抱くこともあります。しかし、このプロセスを経なければ、個人の意志はなく、ただ生命の営みそのものに到達することはできないのです。その先で初めて、解放の体験が完結するのです。

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