人生に失敗はなく、成長の瞬間があるだけ

成熟していくにつれて、ポジティブシンキングの概念に惹かれなくなります。

種を植えると、まず苗木に育ちます。弱々しく見えますが、これを「ネガティブ」と呼ぶか、「成長段階」と呼ぶか?この苗木は徐々に根を張り、強い木に成長します。これを「ポジティブ」と呼ぶか、「成長段階」と呼ぶか。何かをポジティブと定義すると、他の何かをネガティブと見ることになります。この認識は、現実をその大局や全体像で見ない、ある種の狭量さに根ざしています。

すべてを成長の瞬間ととらえれば、ポジティブとかネガティブとかいうレッテルを貼る必要はなく、ただの成長段階に過ぎない。人生に失敗はなく、成長の瞬間があるだけです。人生に成功はなく、成長のための新しいプラットフォームがあるだけです。失敗と成功は、どちらも「最終的な」トーンを持つ言葉です。

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もし、自分の中に成長が必要なものが見つからなければ、外側に目を向けて、自分が成長させることができるものを探してみてください、しかし、もしあなたが内なる成長の必要性を感じているのであれば、それを実現させるまで、それにコミットし続けることは、完全にあなたの責任です。

現実をありのままに見ることを厭わず、感情を押し付けようとせず、独断に従おうとせず、ごく自然に感じたことを許容してみます。もし憎しみを感じたなら、「愛に溢れる」という独断に従おうとして抑え込むのではなく、その感情を許容してみる。もちろん、憎しみを外部に吐き出すという行動を起こす必要はありません。ただ、その感情を抑制することなく、「内部で」許容する必要があります。あなたの内なる空間は、オープンになる必要があります。

私はよく質問を受けます。”感情を許すと言うことは、それを人に表現することを自分に許せばいいのですか?”と。理解していただきたいのは、「許す」という状態は、自分の内側のスペースに働きかける「インナーワーク」であって、他人のスペースに影響を与えようとすることではない、ということです。現実には、他人に影響を与えようとするとき、あるいは他人に自分を表現するとき、相手の反応(必ず何らかの形で反応があります)を受け入れ、その結果に対処する意思も必要です。外に対して自分を表現するときは、内なるバランスのとれたところから行うのがベストです。そうすれば、その結果がアンバランスになることはありません。内面がアンバランスな状態から自分を表現すると、そのアンバランスさを増幅させたり、何らかの形で反映させたりする反応を自然に引き寄せることになります。一旦この内なるバランスを見つけると、アンバランスな結果を引き起こさないような表現をするための正しい土台を手に入れることができます。

いわゆる「ネガティブな出来事」は、ポジティブな出来事よりも成熟をもたらすことが多いのですが、これは、痛みが喜びよりも進化への強い後押しとなり、痛みに押されることなく、むしろハードな打撃を受けることなく必要な成長につながる客観的な知恵を持つ場所に到達することができるからです。

心理的な苦しみは、ある存在の中に内的なアンバランスの要素がある限り存在するもので、内的な完全性を獲得すれば、心理的な苦しみの経験は必要ありません。アンバランスと苦しみは密接に関係しており、この苦しみがバランスを取るための動機となります。しかし、肉体のような領域は、あるデザインで作られ、ある構成の肉体を持ち、この領域の制限や課題にさらされることで成長するという経験を実際にすることができるということを忘れてはなりません。それは、生命が制限や課題のある領域を作り、成長という「経験」をすることを意図するようなものです。

あなたの中にある、成長を望むというこの性質を本当に感じ取ることができれば、人生の論理を理解することができ、目的(ポジティブまたはネガティブ)はなく、ただその性質を満たしているだけであることがわかるでしょう。

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