無条件に自分の本質を知る

自分が「本来」何者であるかを知らなければ、肉体の延長線上にある条件付きの表現(肉体)を完全に受け入れることはできません。あなたが本来持っているのは、「純粋な意識」または「純粋なポジティブエネルギー」であり、無条件の知性やスピリットとも呼ばれるものです。自分がこの肉体であると考えることは、この一時的な表現に「しがみつく」ことを引き起こすだけでなく、この肉体の完全な、そして自然な表現を許すことを妨げる制限的な妄想なのです。

自分の永遠と仮の側面を知る

あなたの中に恐怖があるのは、あなたが完全に「一時的なもの」と同一視し、自分の永遠の性質を忘れてしまっているからです。あなたは自分がこの肉体だと思い、それゆえこの肉体に執着してしまうのです。機能不全のエゴとは、単に妄信的な思考から生み出される力であり、そのベースは「私はこの肉体である」という思考です。エゴそれ自体は機能不全ではなく、肉体表現に必要な側面ですが、妄信的な思考によって機能不全になることがあります。

自分がこの身体だと思うと、常にこの身体をコントロールしようとします。愛情深くあろうとしたり、自分の中で「良い」とされていることをしようとしたり、身体の自然な衝動を抑えようとしたり、身体の一部の表現に罪悪感を感じたり、などなど。自分や他人を批判し続ける人生は、とても惨めなものです。あなたは、身体が抵抗なく、完全に自由に表現することをめったに許しません。

この真実はとても明白ですが、肉体はあなたの「中」で起きている「条件付き」の一時的な表現に過ぎないことを理解するには、ある程度の「観察」が必要です。それは、プログラミングされた機械が、そのプログラミングを表現しているだけのようなものです。現実のあなたは、この表現を作り出した意識なのです。この意識は、肉体に先立つものであり、永遠であり、時を超越したものです。肉体は腐敗し、最終的には死に至りますが、あなたという存在は腐敗も死もせず、ただ永遠に意識を持ち続けています。あなたは時間を超越した存在なのです。

B202305069

すべての恐怖の終わりは、自己実現から生まれる

身体は特定のものを恐れ続け、身体は好き嫌いを持ち続け、身体は感情や感覚を表現し続け、身体は思考を持ち、条件付けられた反応をするようになる。男性の身体はある種の行動をし、女性の身体はある種の行動をする、といった具合に。自由とは、自分を「身体」と認識することがなくなり、そこから自己意識を得ることがなくなることです。自分はこの物理的な存在に過ぎないという考えに騙されることがなくなり、何かを個人的にすることがなくなるのです。

何もかもが「パーソナル」であり、同時にすべてが「パーソナル」である。すべては本質的に「あなた」だけなので、すべてが個人的です。同時に、何も「あなた」を特定するものはなく、あなたは身体でも物語でもありませんから、すべては非人間的です。頭で考えていると、これはとても分かりにくいことですが、深く見てみると、すべてが明白なのです。

恐怖の終わりは、そもそも自分の中に恐怖がないことを知るときです。恐怖は肉体に生じることがありますが、本当の自分の中には恐怖はありません。純粋な意識」がどのように宿っているかを感じ取ることができれば、そこには恐怖がなく、無条件の愛と永遠の平和とも呼べる開放性があるだけだとわかるでしょう。

Don`t copy text!